新庄城址 堀端町 新庄市 山形県
新庄城は、寛永2年(1625)、新庄藩初代藩主戸沢政盛が築いた城である。創建時の新庄城は本丸中央に3層の天守閣、3隅に隅櫓、表御門、裏御門を備え、二の丸は役所や米倉、大手門・北御門を有し、三の丸には多数の侍屋敷を区画した堂々たる近世城郭であった。新庄藩は最上郡一円と村山郡の一部、6万石(後に6万8200石)を領した。 藩主戸沢氏は元和8年(1622)から明治初年まで、11代250年にわたり、この城を拠点として藩政を展開した。慶応4年(1868)7月、新庄藩は庄内勢に攻められ、黒煙を吐いて焼け落ちた。明治に入って、新庄城は廃され、跡地は新庄学校・勧業試験場・招魂社・郡会議事堂などの敷地として利用された。以下略 平成5年8月 新庄市・新庄商工会議所