塩越城跡 二ノ丸 象潟町 にかほ市 秋田県
江戸時代初期の大名、仁賀保氏の居城跡。元和9年(1623)、由利十二頭の一人、仁賀保挙誠は常陸国武田から一万石の大名として旧領に入部。伝承記録ではあるが、戦国時代の塩越の地侍、池田氏の居館とされる塩越館に入ったといわれる。城は、九十九島へ通じる堀が設けられ、前方に日本海、後方に九十九島と鳥海山を望む絶景の立地てあった。 挙誠は入部の翌年に病死し、その後、長男蔵人良俊が七千石家、次男誠政か二千石家、三男誠次が千石家と、三家の分知となり、良俊が塩越城に入った。寛永8年(1631)に良俊が亡くなり、廃城となったため、城の存続期間は9年間にすぎなかった。塩越が寛永17年(1640)、本荘藩六郷氏の領有となってから、その跡地の一角に塩越町奉行が置かれた。藩政期の古絵図(象潟景勝絵図・県立博物館蔵)および藩御用絵師、牧野永昌筆の象潟図屏風(象潟町郷土資料館蔵、県の有形文化財)には、塩越城跡を『古城』と記入している。 城の規模は、東西2町(約218m)、南北3町(約327m)で、本丸は東西33間(約60m)、南北27間(約49m)、高さ1丈5尺(約4.5m)、石で側面を固めた城壁であった。   
 にかほ市教育委員会