この黒門は慶応4年(1868)5月15日に旧幕臣の彰義隊と新政府軍が戦った上野戦争で、あとに放置されていた多数の彰義隊士の遺体を当時の円通寺の住職仏麿和尚と寛永寺御用商人三河屋幸三郎が集めて火葬し、円通寺に葬った機縁で明治40年(1907)に帝国博物館より下賜された。上野山内「袴越し」にあった黒門は上野八門のうちで表門にあたり、両軍攻防の重要な拠点であった。弾痕が往時の激戦を今に伝えている。
上野戦争 黒門前 彰義隊の墓碑 上野公園