投げ込み寺(浄閑寺)
浄閑寺は浄土宗の寺院で、栄法山清光院と号する。安政2年(1855)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。檀徒の他に、遊女やその子供の名前を記した、寛保3年(1743)から大正15年(1926)にいたる、10冊の過去帳が現存する。遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れている。「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに立てられたものである。   荒川区教育委員会
  新吉原総霊塔 浄閑寺 三ノ輪