思川と泪橋 思川は南千住3丁目の東南部にあった堀。農業用水として使われていた音無川(石神井川用水)の支流で、明治通りの北側に沿って流れ、橋場の渡しの北で隅田川に合流していた。源頼朝がこの川で馬を洗ったことから、古くは駒洗川と呼ばれていたという。 (中略) 思川と小塚原縄手(日光道中)が交差するところに架かっていた橋が涙橋。泪橋とも書く。橋名の由来は小塚原の御仕置場に赴く囚人たちが現世を去るに際して涙を流しながら渡ったとも、囚人の知人が今生の別れを惜しんで袖を濡らしたからだとも伝える。 荒川区教育委員会 |