寛政11年(1799)の大井村「村方明細書上」の写しによると、慶安4年(1651)に開設された御仕置場で、東海道に面しており、規模は元禄8年(1695)に実施された検地では、間口40間(74m)、奥行き9間(16.2m)であったという。歌舞伎の舞台でおなじみのひげ題目を刻んだ石碑は、元禄6年(1693)池上本門寺日の記した題目供養碑で、処刑者の供養のために建てられたものである。大経寺境内には、火あぶりや、はりつけに使用したという岩石が残っている。ここで処刑された者のうち、丸橋忠弥、天一坊、白井権八、八百屋お七、白木屋お駒などは演劇などによってよく知られている。江戸刑制史上、小塚原とともに重要な遺跡である。  昭和44年10月1日  東京都教育委員会
火炙(ひあぶり)台: 八百屋お七をはじめ火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された。 真中の穴に鉄柱を立て足下に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである。  
磔(はりつけ)台: 丸橋忠弥を初め罪人がこの台の上で処刑された。真中の穴に丈余の角柱が立てられその上部に縛りつけて刺殺したのである。 
       鈴ヶ森史跡保存会
鈴ヶ森刑場遺跡 南大井2丁目 東海道