草津宿本陣は、寛永12年(1635)に定まった。江戸幕府による参勤交代の制度を背景にして、東海道、中山道を上下する諸大名、役人、公家、門跡等の休泊所として草津宿に開設された施設で、明治3年(1870)宿駅制度の廃止までの2百数十年間、その機能を果たしてきました。史跡草津宿本陣は、全国に残る本陣遺構の中でも、ひときわ大きな規模を有しており、延4726平方メートルにのぼる敷地内には、かつての本陣の姿を彷佛とさせる数々の建築物が残され、関札、大福帳、調度品ほか、貴重な資料も数多く保管されているなど、近世交通史上、極めて重要な文化遺産であります。この本陣遺構はこれまで、亨保3年(1718)に草津の宿場を襲った大火事により焼失し、急遽、膳所藩より瓦ヶ浜御殿と呼ばれる建物を移築し、立て直されたものであると伝えられてきました。しかしながら、現存する本陣の平面形態が、本陣に残される複数の屋敷絵図に描かれている平面形態と合致したことなどから、現存する本陣遺構はこの絵図類が描かれた、弘化3年から文久3年頃(1846〜1863)の旧状を良く残す遺構であることが明らかになりました。敷地内には、正面、向かって左手に、表門、式台、主客の宿泊に当てられた上段の間、家臣用の座敷広間、御膳所、湯殿等を配し、通り土間を境にして、右手側には本陣職にあたった、田中七左衛門家の居室と台所を設けています。また、これらの主要建築の背後には、別名「木屋本陣」と呼ばれるように、兼業であった材木商の業務に用いた物入れや土蔵、避難口として使われた御除ヶ問などの建築物が今なお残され、敷地周囲は高塀、薮、堀によって区画されています。 草津市教育委員会
草津宿本陣(上:2010年 下:1966年) 草津1丁目 草津市 滋賀県