当社は天慶9年(946)蝉丸を主神として祀られております。蝉丸は盲目の琵琶法師とよばれ音曲芸道の祖神として平安末期の芸能に携わる人々に崇敬され当宮の免許により興行したものです。その後、万治3年(1660)現在の社が建立され街道の守護神猿田彦命と豊玉姫命を合祀してお祀りしてあります。  
     これやこのゆくもかへるもわかれてはしるもしらぬもあふさかのせき  蝉丸
大津と京都を結ぶ東海道は、米をはじめ多くの物資を運ぶ道として利用されてきました。江戸時代中期の安永8年(1778)には牛車だけでも年間15894輌の通行がありました。この区間は、大津側に逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり、通行の難所でした。京都の心学者脇坂義堂は文化2年(1805)に一万両の工費で、大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12kmの間に牛車専用通路として、車の轍を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ牛車の通行に役立てました。 これを「車石」と呼んでいます。 
大津市・藤尾学区自治連合会  平成7年(1995)2月
蝉丸神社・車石 大谷町 大津市