東海道を東から西へ行くとき、富士はいつも右手に美しい姿を見せますが、ここだけは松並木の間から左手に見えることから “左富士” と呼ばれて、街道の名勝となりました。 浮世絵師安藤広重が描いた風景画「東海道五十三次内吉原」は左富士の名画であり、彼の道中日記に「原、吉原は富士山容を観る第一の所なり。左富士京師(京)より下れば右に見え、江戸よりすれば反対の方に見ゆ。一町ばかりの間の松の並木を透して見るまことに絶妙の風景なり。ここの写生あり。」と記されています。今日、周辺には工場、住宅が建ち並び、浮世絵に見るのどかな風情はありませんが、わずかに残る1本の老松は往時の左富士をしのぶものとして、大変貴重です。  昭和61年2月1日 富士市教育委員会

左富士 依田橋町 富士市 静岡県