祭神 正四位武田伊賀守以下四百十一柱 
徳川幕府の末葉、勤王の大志を抱き尊攘論を唱えて京都に趣き、素志を貫徹せんと意を決した武田伊賀守他同士達は各地に轉戦しつつ、元治元年十一月大雪の中、新保の地にて加賀藩の軍門に降り、敦賀の鰊倉に幽閉され慶應二年二月斬罪により松原の露と消えた。大政奉還後王政維新明治の聖世となり命等の勤王の大志が天日を見るに至り慶応三年敦賀の修験行壽院が神祇伯白川家の許可を得て院内に諸士の霊を祀り、明治七年十一月水戸の人根本彌七郎が墓地付近に一小祀殿を創建して松原神社と穪し、大正四年十一月現在地に御造営竣功し、白砂青松の浄域に御霊代を奉還、永く英霊の鎮り座すこととなった。
松原神社 松原町 敦賀市 福井県