おくのほそ道旧跡 芭蕉翁逗留出霊屋跡 
  
月清し遊行の持てる砂の上
元禄2年(1689)、『おくのほそ道』の旅で敦賀を訪れた松尾芭蕉が気比神宮で詠んだ句です。遊行宗(時宗)二世の他呵真教上人が、人々のために自ら砂を運んで参道を整備したという「お砂持ち」の故事を踏まえたものです。この故事を芭蕉に伝えたのが、ここ唐仁橋町(現相生町)の宿・出雲屋の主人弥一郎です。芭蕉は福井で再会した神戸洞哉とともに、中秋の名月の前日、8月14日に敦賀に入り出雲屋に泊まりました。その夜、月明かりの中を、芭蕉は弥一郎の案内で気比神宮に参詣しました。 芭蕉は出雲屋に、長い旅で用いた笠と杖を残していきました。出雲屋は早くに絶えますが、その隣家で縁戚であった富土屋が跡を継ぎ、蕉翁宿として多くの文人墨客に親しまれました。芭蕉の足跡を訪ね、多くの客の投宿したことが『宿句帳』から窺えます。笠は失われましたが、『蕉翁宿』の宿額等も、芭蕉の残した杖とともに今に伝えられています。
出雲屋跡 相生町 敦賀市 福井県