元禄2年(1689)、『おくのほそ道』の旅で敦賀を訪れた松尾芭蕉は、敦賀滞在の3日目、8月16日に、最後の歌枕の地、種(色)の浜に遊びます。色の浜には、芭蕉が敬慕してやまない西行の「汐染むるますほの小貝拾ふとて色の浜とはいふにやあるらん」という一首が残されています。 芭蕉を色の浜に案内した人物が『おくのほそ道』に天屋何某と記された室五郎右衛門です。五郎右衛門は玄流の他に点屋水魚とも号し、当時の敦賀の俳壇では中心的な存在であったと考えられます。天屋は代々俳人を輩出しながら、明治期まで北前船主として活躍しており、この地には平成14年まで煉瓦造の洋館が残されていました。 玄流は芭蕉のために船を仕立て、食事や酒など心尽くしのもてなしをしたことでしょう。同行した神戸洞哉(等栽)が「その日のあらまし」を記した『色ケ浜遊記』には、盃にますほ貝を入れて興じる清雅な遊興の様子に続けて次の句が記されています。
 
小萩ちれますほの小貝小盃
天屋玄流旧居跡 蓬莱町 敦賀市 福井県