深坂峠あれこれ
ここが深坂峠の頂上で標高370m 越前(福井県)と近江(滋賀県)とを分岐する国(県)境である。この峠を挟んで、東側の尾根頂上には南北朝時代に築かれたと思われる山城が、またやや離れた西側の尾根には戦国時代に築かれたと考えられる山城があり、これによっても当時の土豪達がこの街道を軍事的に重視していたことがうかがえる。峠を滋賀県側に少し下ると深坂地蔵堂がある。ここに安置されている地蔵は、平安末期平清盛の命により平重盛が琵琶湖と敦賀を結ぶ運河の開削工事を行った際に掘り出され、工事を中止する原因になつたと伝える『堀止めの地蔵』で、今なお多くの人々の信仰を得ている。参拝者の塩を供える姿は、この道がかって塩を運ぶ道であったことを物語るように思われる。その後、江戸時代になると大量の物資を安全にしかも安価に運ぶことが要求されるようになり、この深坂峠を越える運河開削工事計画も何回となく繰り返されたが、工事が実施されることには結び付かなかった。地蔵堂をさらに下ると問屋場跡がある。桃山時代頃に栄えたが新道野に西村孫兵衛が経営する新しい問屋(荷物の積み替えをした業者)が誕生したことにより廃絶した。今も残る豪壮な石垣に、当時の面影をしのぶことができる。
深坂峠 沓掛 西浅井町 長浜市 滋賀県