塩釜神社 一森山 塩釜市

古来、陸奥国一宮と称されている。 その創建年は不明であるが、弘仁式主税帳(820)の記録から、九世紀前半には朝廷より祭祀料をいただく有数の神社として存在していたことがうかがわれる。古代においては、この地が陸奥国府・多賀城の国府津であったこと、陸奥国内の製塩の中心地であったことなどが、塩釜神社の創建や社名に関連していると考えられている。 その後、平泉の藤原氏、陸奥国留守職の伊澤氏、仙台藩主の伊達氏などの庇護を受け、今日にいたっている。これらに関係する人々や神社と縁のある人々の寄進した文物等が境内及び塩釜神社博物館に多くみられる。 現在の社殿は、第四代仙台藩主・伊達綱村が元禄8年(1695)に塩釜の町づくりと比に神社造営の工事に着手し、宝永元年(1704)第5代藩主・吉村の時に完成したものてある。以下略 平成15年3月 塩釜市教育委員会