鶴松の墓(稲田寺) 1丁目 下田市 静岡県 
鶴松の一生
鶴松は今この墓地に静かに眠っている。納骨瓶には「純譽敬法信士俗名大工川井又五郎明治九年六月六日没」と誌されている。幕末開国の舞台に一輪の花と咲いた『唐人お吉』の陰に隠れて鶴松の一生は余りにも哀れであった。領事ハリスの待妾として仕えたお吉と後年、旧情を温め仲むつまじく同棲したのも束の間の一夜ポックリと(今でいう心臓麻痺)敢えなく急死した。四年程であった。明治八年、故あって離婚すると翌年には生前の鶴松は性格温順で酒も飲まず煙草もすわず器用な船大工職であったという。山桃が好きだったので、お吉は鶴松の死後泣きながらこの墓前に鶴松好物の山桃を供えて、その冥福を祈っていたという。以下略  昭和50年3月30日  下田市