関戸吉信の墓 梨本 河津町 賀茂郡 静岡県
前略 関戸吉信は、下田市堀ノ内にあった深根城という山城の二代目城主であった。吉信の父播磨守宗尚は、山ノ内上杉憲実が応永26年(1419)8月に関東管領に就任すると、奥伊豆の鎮護のため派遣され、深根城を築いた。延徳3年(1491)10月に北条早雲は伊豆攻略を始め、奥伊豆の土豪は皆降伏したが関戸吉信は降伏せず、10月6日深根城は早雲の軍勢に攻め込まれた。吉信の妻条菜の前は敵中を切り抜け、菩提寺龍巣院裏山へのがれた。吉信は長男と共にのがれ、板戸三玄寺前の虚空蔵堂まで来て長男はここで自刃、吉信はさらにのがれ、天城街道沿いのこの地で自刃したと伝えられる。里人は武将の死を悼んで宝篋印塔を建て、冥福を祈ったという。  河津町教育委員会