江川家住宅 韮山 韮山 伊豆の国市 静岡県

枡形

土間 大砲

主屋

米蔵
江川家の遠祖宇野氏は大和の国に住む源氏の武士であつたが、保元の乱(1156)に参戦して敗れ、従者13人と共にこの地に逃れて居を定めたと伝えられる。現存の家屋の主屋は室町時代頃に建てられた部分と、江戸時代初期頃に修築された部分とが含まれている。この主屋は昭和33年(1958)に国の重要文化財の指定を受けた。同35年より文化庁、静岡県及び韮山町の協力を得て解体修理が行われ、文化14年(1817)に行われた大修理以前の古い形に復元された。またその際に茅葺だった主屋の屋根は現状の銅板葺きとなった。江川氏は徳川時代初期より幕末に至るまで代々徳川幕府の世襲代官を勤めた。その中で幕末の江川英龍は体制側にありながら革新思想を持ち、農兵の組織、大砲の鋳造、品川台場築造の計画等をすすめたことで知られている。昭和42年に財団法人江川文庫が設立され、重要文化財および代官所記録の維持管理にあたっている。