間眠神社 東本町2丁目 三島市 静岡県

治承4年韮山蛭ヶ小島流嫡の頼朝が源家再興の大願を立て、三島大明神に百日の丑刻祈願の途上、路傍の祠の松の大樹の下にしばし仮睡の夢を追われたと伝えられている。この祠こそ往古大洪水により韮山の長崎より流着した稲荷社であったと古老の口碑に伝わっている。即ち祭神は豊受姫命である。頼朝公天下を掌握するに及びて、世人此の松を頼朝公間眠の松と謂い、社を問眠稲荷又は間眠宮と称えらるるに至った。現に存在する安永5年の常夜灯及び手水鉢に問眠宮又は正一位稲荷大明神と刻しあり、徳川時代よリ郷土の氏子の尊崇を集め祭られた。殊に流嫡前の鎮聖地であった韮山長崎住民の信仰厚く往昔より毎年欠かさず八月一日の例祭には、長さ一丈胴廻り六尺の大注連縄を氏子自ら造り神前に奉納する珍しき行事が今日まで残っている。以下略  問眠神社氏子総代会  平成19年9月 吉日