蓮華寺 番場 米原市 滋賀県 
北条仲時公並びに四百三十余名の墓
 元弘三年五月七日(約六百三十余年前)京都合戦に敗れた六波羅探題北条仲時公は、北朝の天子光厳天皇、後伏見・華園二上皇を奉じて、中山道を下って番場の宿についたとき、又南朝軍の重囲に堕り、止むなく玉輦を蓮華寺に移し、大いに戦いたるも衆寡敵せず再び戦いに敗れ、遂に本堂前庭に於て仲時公以下随士四百三十余名悉く自釼す。 時の住職三代同阿上人深く同情し鄭重に葬ひ、その姓名と年令法名を一巻の過去帳に留め更に一々その墓を建立してその冥福を弔ふ。その墓はこの奥にあり過去帳は重要文化財として宝物館に収蔵せられてゐる。
 米原教育委員会 菊華会