西の荷蔵跡・柏原銀行跡 柏原 米原市 滋賀県
西の荷蔵跡
運送荷物の東西隣宿への継立(駅伝運送)が、当日処理出来ない場合、荷物を蔵に預かった。 この蔵は西蔵と呼ばれ、藩年貢米集荷の郷蔵でもあった。 荷蔵は宿東部にもあった。 なお当宿は、寺院の数が中山道二番目と多く、寺院は荷蔵や宿屋に利用され、柏原宿は大通行定番の宿泊地となった。
柏原銀行跡
明治34年(1901)、江戸時代艾(もぐさ)屋の山根為蔵家は、同業・旅篭屋・呉服屋であった家筋五軒に働きかけ、自宅別棟に柏原銀行を創立した。 中世・江戸期を通し大きな宿場として栄えた柏原村は、その当時も多くの商店が立ち並び、国鉄沿線の醒ケ井・近江長岡と岐阜県隣り村今須村地域の中心地であった。 柏原銀行の支店出張所は、米原・醒ケ井・近江長岡・野一色・岐阜県隣り村今須にも設置された。 その後、米原・野一色は閉鎖されたが昭和18年(1943)、滋賀銀行に合併する迄の42年間、この地方の産業活動を支援した功績は大きい。