小幡町:
八幡城下形成時に神崎郡小幡村(現:東近江市五個荘)の商人がこの地に移り住んで成立した町と伝えられています。この地の有力者であった西谷家も小幡出身です。また、八幡商人御三家の一つに称された同町の扇屋伴伝兵衛は全国的な商業活動で知られました。

朝鮮人街道(京街道):
江戸時代、将軍が交代するたびに朝鮮国より国王の親書をもって来日する「朝鮮通信使」は、役人の他にも文人や学者など、多い時には500人規模で組織され、往復で約1年もの歳月を費やしたと言われています。 行程は、ソウルから江戸までの約2,000キロにもなりますが、近江八幡を含む、彦根から野洲までの一部の地域で「朝鮮人街道」と今も呼ばれています。本願寺八幡別院(市内北元町)では正使、そして京街道(当地域)一帯で随員の昼食や休憩場所として使われ、当時の町人はまちを挙げて歓迎し、文化交流がさかんに行われました。
街道碑 小幡町 近江八幡市