明治36年(1903)、長門市仙崎に生まれる。本名 金子テル。大正12年(1923)、母の再婚先である下関市西南部町の上山文英堂書店に移り住み、商品館(西之端町)にあった同店支店で働きながら、「金子みすゞのペンネームで優しさあふれる童謡を創作し、雑誌に投稿を始める。みすゞの作品は雑誌「童話」等に次々と掲載され、選者であった西條八十に「日本のクリスティナ・ロゼッティ」と称賛される。昭和5年(1930)、上山文英堂書店にて、一人娘を残して、26歳の若さで世を去る。その後、作品は埋もれ、みすゞの名も忘れられていったが、没後50余年を経て、童謡詩人矢崎節夫氏によって奇跡的に再び見出され、年を経てなお新しい作品の数々は、多くの人に深い感動を与える。いま、金子みすゞの作品は日本中に広がり、ひとの心の優しさを伝え続けている。

「はちはお花のなかに、お花はお庭のなかに、お庭は土べいのなかに、土べいは町のなかに、町は日本のなかに、日本は世界のなかに、世界は神さまのなかに。そうして、そうして、神さまは、小ちゃなはちのなかに」

金子みすゞと上山文英堂 南部町 下関市 山口県