三田尻御茶屋 お茶屋町 防府市 山口県

三田尻御茶屋は、承応3年(1654)二代萩藩主毛利綱広によって建設された藩の公館で、藩主の参勤交代や領内巡視の際、あるいは公式賓客の旅館にあてられたものです。現在まで数度の改修が行われ、規模や間取りは様々な変遷をたどっていますが、県内に残る御茶屋として唯一、区画の明瞭なものです。幕末の文久3年(1863)8月には、京都の政変の難を逃れた三条実美ら七卿が相次いで御茶屋に入られ、多くの勤王の志士を交え国事が談じられました。昭和14年(1939)に毛利家より防府市に寄贈を受け、三田尻塩田をはじめ産業の振興に尽力し、藩の財政再建に勤めた七代藩主重就の法名にちなんで「英雲荘」と命名されています。  平成15年9月 防府市教育委員会
萩往還は、江戸時代のはじめに萩唐樋と三田尻を結ぶ、参勤交代の道として整備された街道です。長さは12里(約53km)で、政治的に重要な道であったため、道幅2間(約4m)の大道として位置づけられました。また道中には、一里塚や御茶屋、駕龍建場などが整備されました。 三田尻は萩藩にとって、藩の公館である御茶屋や水軍の本拠地御舟倉(おふなぐら)などを有する重要な地でしたが、なかでも萩往還の終着点である三田尻御茶屋は藩主の休憩、重要な客の応接に使われ、歴史上有名な人々も多く滞在しました。蔽往還は中国山脈を最短距離で越える行程のため途中にはけわしい坂や峠が多く、通行には苦労が多かったと思われます。山陰と山陽をつなぐ道として長きにわたり、あらゆる人々が様々な目的のために利用した、山口県の歴史上大変意義のある道といえます。かつてこの道を行き交った人々に思いをはせながら、ゆっくりと歩を進めましよう。  文化庁 防府市