手懸岩と橘坂 富海 防府市 山口県

山陽道の旅人たちはこのあたりに来ると眼下に見える瀬戸内海の絶景にしばし足をとどめ、この前にある岩に手を懸けて休んだという。それでこの岩は手懸岩と言い伝えられている。また富海側へ下る坂を橘坂と言い応安4年(1371)九州探題今川貞世(了悛)が道ゆきふりに次のように書き残している。
  
あら磯の道よりもなお足曳の 山たち花のさかぞくるしき
なおこのあたりの風景を尾張の菱屋平七は、筑紫紀行に次のように書いている。
・・・さて山路にかヽる。右は岩山けはしく屏風を立てたる如く、左は海岸水をさる事数丈にして其様東海道の薩埵峠によく似たり南は漫々たる碧海をへだてて豊後の国遥に見え凛然として危ふくけ恐ろしけれど、且は広潤の観望に胸中を陶写す・・・・・・   平成3年1月吉日  富海史談会
山陽の旅今昔
このあたりは、古来交通の要衝であり旅の想い出を物語る歴史のふるさとでもある。古代から明治維新に至る長い間旅人に親しまれたこの峠道も、明治10年からは洛岸の旧国道へ、更に昭和33年からは下に見える茶臼山・官海両トンネルの開通による国道2号線へと変わっていった。また昭和57年には、この地下に防府バイパスが貫通し、61年には山陽自動車道がその北側に開通した。鉄道も明治31年に下に見える山陽本線が開通、昭和50年には新幹線が近くの太平山トンネルを通るようになった。このように山陽交通の大動脈がここに集中して、ふるさとの地図は次々に塗り変えられていく。ここはそうした交通の歴史を一望に収められる唯一の地点である。  平成3年1月吉日  富海史談会