多田の渡り場跡 多田 岩国市 山口県
岩国を横断する錦川流域には、両岸を結ぶ橋と渡り場が多く設けられ、特に岩国藩の中心であった横山地区周辺には、川西、多田、御庄にあったことが確認されている。御庄の渡り場が国内の主要道であった山陽道の渡りであったのに対し、多田の渡り場は領内の人間の交通手段としての機能であった。享保11年(1726)の「享保増補村記」などによると、多田の千石原の渡り場には徒歩渡りと船渡りの2ヵ所があり、徒歩渡りの場合は水面が23間、水深が2尺、船渡り場所が18間と水深が6尺であったとされる。領民の農作業や移動の際に使われていたと考えられるが、藩主が利用していた記録としては、貞享元年(1684)の「長州様御入部御廻国記」にこの渡り場を利用したことを推測させる記述がある。(中略)その後も、多田、横山間の交通手段として活用され渡り場の目印として「せんだんの巨木」が立っていた。この渡り場は昭和40年代(1965)に廃止された。 多田の渡り場を保存する会 2009年3月