旧山陽道・鉾ノ峠上道(鳴川の石畳) 玖波3丁目 大竹市 広島県
 この石畳の道は、江戸時代の西国街道(大阪〜長崎)でこの坂を登った鉾ノ峠(たお)には一里塚がありました。当時は江戸を中心にした五街道(東海、日光、中山、奥州、甲州 )に次ぐ重要街道でした。 この街道は毛利時代に次いで福島時代から漸次整備されてきました。しかし、宿駅制を定めるなど画期的にこれが整備されたのは、浅野時代に入ってからで、寛永10年(1633)幕府の巡見使派遣、、同12年(1635)参勤交代制の確立が契機となったといわれています。市城を通る西国街道(本往還道)の全長は、74町3間(約8.1km)でした。その道順の概要は鳴川から玖波に入って鉾ノ峠を越え、唐船浜を経て馬ためし峠を越えると、玖波の宿場町に入ります。町を通り抜けた街道は、恵川を渡り中浜の山麓伝いに黒川から大膳川を渡り、旧大歳神社前を経て中河内、小方、おろしばへと続きます。御園から新町川を渡り、苦の坂を越え木野に入り、小瀬川(木野川)に沿って下り、木野川渡しから周防小瀬に渡って関戸に通じていました。街道筋には往還松が植えられ、小方の古胡社の下にも一里塚があって、旅行く人の休息の場として旅に風情を添えていたと伝えられています。  大竹市教育委員会