残念社 大野 廿日市市 広島県
四十八坂の古戦場と残念社
 慶応2年(1866)7月9日、四十八坂を単騎で西に向かって馳やる幕府軍の武士がいた。これを見た長州軍は戦闘員だと勘違いをして、狙撃してしまった。その武士は「残念」といって倒れた。後にこの武士は、丹後宮津藩士の依田伴蔵で、軍使として長州軍営に赴く途中であったことが分かり、長州軍は遺憾の意を表した。 残念社は、村人が伴蔵の戦死を悼んで祭ったものである。
命を奉じて騎営敵営に向かう 衷心願う所は只和平 
惜しいかな涙を呑んで中道に斃る 暮畔長に留む残念の声