古代山陽道高庭駅家跡 大野 廿日市市 広島県
濃唹(のお)駅 山上憶良の万葉歌碑 「出でて行きし日を数へつつ 今日今日と 吾を待たすらむ 父母らはも」 高庭駅家跡
古代の山陽道には約16km毎に、役人の宿泊や乗り継ぎ用の馬を準備する施設として駅家が置かれました。天平3年、肥後国(熊本県)の18歳の若者が都に上る途中、安芸国佐伯郡高庭駅家で病死しました。このことを伝え聞いた築前国司山上億良が当人に代わってその心持を述べた歌が万葉集に六首載せられています。この高庭駅家が大野高畑にあったことは古くから定説となっています。平安時代になって駅制の改定により濃喩(のお)駅となったようです。