大釣井と地蔵 草津本町 西区 広島市 広島県
大釣井と地蔵さん
  大釣井はいつごろ掘られたものかわからないが、慶長(1596〜1615)の頃は、このあたりに住む漁民や町民の飲み水や用水になっていたのではないかと思われる。  文政5年(1822)本固新開ができるまでは、 現在の宮島街道(国道2号)付近は海であったと思われる。 海岸の井戸は塩分が多く飲料水にならないので、この井戸はおいしい水が飲める共同の井戸であったと考えられる。 また、草津は歴史書に残る大火が宝暦年間(1751〜64)から文化年間(1804〜18)の約50年の間に宝暦の大火(焼失238戸)作兵衛火事(焼失326戸)大公火事(焼失309戸) 勘兵衛火事(270戸)とおきている。この大釣井はその頃の防火用水として大きな力となったのではないかと思われる。大釣井地蔵さんは火災をなくするために祀られたといわれ、地蔵さんをお祀りしてから草津に大火がなくなったといわれる。    草津まちづくりの会