旧山陽道代官おろし坂 |
|
馬子唄発祥の地 大山峠入口(上瀬野側) |
|
瀬野馬子唄の由来 ここから大山峠へ上がる坂は大変急であるため、旧山陽道(西国街道)で一番の難所でした。「代官おろし跡」の案内板があるように、お殿様でも駕籠から降りて、お付きの人に後ろから押してもらってようやく峠を越えることができたそうです。 瀬野馬子唄は、この急な坂を.米なら一石五斗(約225kgくらい)を背に振り分けて積んだ馬を曳きなから、馬子たちが唄ったものです。当時の馬は金つき馬と呼ばれる去勢されていない馬で、大変扱いが難しかったと言われています。瀬野馬子唄保俘会がここに案内板を建て、馬了唄を継承してきましたが、案内板が古くなったため、建て直しました。平成24年10月 瀬野川流域郷土史懇話会 |