古代山陽道大山駅家跡 八本松町飯田 東広島市 広島県
日本書紀崇神天皇(3世紀前半)の条に、「西道」のことがあり、れは後の山陽道のことだといわれ、そうであればこの道もこの峠も弥生時代すでにあったことになる。その後、山陽道は京と筑紫大宰府を結ぶ官道となり、道路区分では大道で、この付近に延喜式にいう大山駅がおかれた。そしてこの道は、明治17年(1884)2号国道が新設されるまで、国の幹線道路としての役目を果したのである。その間、九州へ派遣される防人もこの峠に立ったであろうし、元冠の急変を京へ知らせる早馬も駆けすぎていたに違いない。また、明治維新の志士吉田松陰や高杉晋作らもここを通っているのである。(中略) 西から上ってくる坂を「代官おろし」とよぶがこれは如何なる権威のある人でもカゴから降りたという難所であったことを意味し、峠より西10mの大山清水は旅人の喉をうるおした名高い清水であった。この位置は、江戸時代憩亭のあった位置で、参きん交代の大名が休憩したところであるが、平素は村人が旅人にわらじやいり豆を売っていたという。  東広島ウエストライオンズクラブ   東広島市郷土史研究会  昭和58年4月