県史跡梅木平古墳 本郷町下北方梅木 三原市 広島県
この古墳は、6世紀末から7世紀の始めに造られたと推定され、この付近を治めた有力支配者の家族墓と考えられている。石室は、ほぼ中央部の両側で2段に積んだ石を内側に張り出させて石室を区切っており、この区切りの奥が玄室で前側が羨道にあたる。玄室の奥壁の幅33.02m、奥壁の高さ4.21mで、巨石が3段に積まれている。側壁は3段から4段に内傾させながら積み上げ、天井は幅1.88mまで狭め、玄室で4枚、羨道で4枚の巨大な板石が架けられている。また、入口は東に開口しており、奥壁までの長さ13.25mで、県内最大の横穴式石室である。東に隣接する横見廃寺跡(国史跡、白鳳期の建立)と併せていずれも畿内文化の影響を受けたものと推定される。墳丘上には仏像2躯が祀られたお堂があり、正徳5年(1715)の上北方村寺社并名所古蹟改帖には「梅慶庵」、梅木平古墳は「梅慶庵塚」と記されている。 広島県教育委員会