備後国分寺南大門跡 下御領 神辺町 福山市 広島県
天平13(741)年聖武天皇の発した国分寺建立詔によって、この地に備後国分寺(僧寺)が建立されました。寺の正式名称を『金光明四天王護国之寺」と称し、律令国家体制の完成期に鎮護国家の経義に基づいて造営されたものです。昭和47年度からの4次にわたる発掘調査によって、東西600尺(180m)の寺域が判明し、また塔・金堂・講堂ならびに南門跡の検出により、いわゆる法起寺式伽藍配置をなすことが明らかになりました。南門は古代山陽道に面して開き、立地として重要な位置を占めると同時に、広大な寺域内に残る堂塔の遺構から官寺である国分僧寺の雄大な伽藍の規模が想定されます。 平成17年3月  福山市教育委員会 神辺町観光協会