滕池(ちきりいけ)神社と汐湧石 木野2丁目 大竹市 広島県
地域の人々が、「ちきりさん」と呼んでいる「滕池神社」がここに鎮座されている。推古天皇の御世(593〜628)に市杵島姫命(宗像三神の一神)が、厳島神社に向けて、九州筑紫の国からはるばると二歳の嬰児を連れて中国路へのぼってこられ、この急な坂に差し掛かったとき、長旅の疲れがどっと出て、「えらや苦しやこの苦の坂は 金のちきりも要らぬもの」とつぶやかれ、それまで大切に持ってこらわたちきり(機織機の部品)を麓の池へ投げ捨てられた。それ以来人々は、この坂を「苦の坂」と呼び、その池を「滕池」と呼ぶようになったという。後に「滕池」を埋めてその上に社を建て、市杵島姫命を祭神(池に埋まった滕を御神体として祀ったという)として、滕池神社と名付けたという創立由来がある。いつのころか、社の石垣の一部に汐涌石の霊が据わり「旧暦六月十七日」の厳島管弦祭の夜には、この岩穴から汐水が涌き出ると、文政2年(1819)発行の国群誌木野村に記録されている。  平成24年7月  大竹市教育委員会