矢掛一里塚跡 矢掛 矢掛町 小田郡 岡山県
一里塚とは一里ごとの目印として道路の両側に土を盛って、木を植えた所をいいます。一里塚を造り始めたのは織田信長で、その後、豊臣秀吉・徳川家康が全国に広めました。江戸時代の一里塚は、36町を1里とし、街道の両側に榎・松等を植えさせました。これは旅人の里程の目安となり木陰は休憩所となりました。現在、矢掛町内には3ケ所の一里塚跡が確認できます。東は東三成の真備町境にあり、道路心拡幅工事とともに松の木が伐採されました。中央の一里塚は旧矢掛宿内の東町の一里塚で、南北とも黒松で、北側の松は明治16年頃に積雪で倒れ、南側は昭和16年に省営バス路線工事のため伐採されました。西は浅海の毎戸の西端にありました。平成16年   やかげ歴史の道復元事業