窪屋郡家跡・古代津坂駅家跡 地頭片山 総社市 岡山県
ここが窪屋郡の郡家の跡
大化の改新(西暦645年)に吉偏の国窪屋郡の郡家(郡役所)のあった所である。周囲に堀を廻らしたいかめしい当時の様子が今も残っている。 道をへだてたすぐ東は地つづきに津坂駅の跡があり南の松並木の道は馬場といって東は京から西の九州太宰府に至る当時日本で唯一大路中国街道である。又ここを岡本里ともいった時代があり郡家があったので岡本里(こほり)と云っていたという説もある。
悪日売は窪屋郡司の娘
仁徳天皇の代(約千数百年前)皇室から各国司にみえよき娘を召された時宮中の御用に上った吉備国からは窪屋郡司の娘が上った。皇室では黒日売の名を呼ばれて奉仕した。 帰国の後に天皇が姫の後を慕うて山方(山手)の郡家へ行幸されて福山の春風野に若菜を共に楽しく摘ませられてお歌を賜った。天皇の御還幸になる時姫から切々たる別れを惜んで歌をたてまつった。
 仁徳天皇御歌  やまかたに まけるあおなも きびひとと ともにしつめば たぬしくもあるか
黒日売より奉る歌  やまとべに にしふきあげて くもはなれ そきおりとも われわすれめや