天保窯 伊部 備前市 岡山県
江戸後期まで、南・北・西の三大窯で大量生産していた備前焼も、藩の保護の減少や燃料の関係で、大窯の融通窯として、規模を縮小した三基の小窯が造られ、古備前写しの壺、茶器、花器、角徳利など小形の品が生産された。天保窯は、そのぅちの一つで、天保3年(1832)ごろに築窯され、初め五室であったものが、補修、改修されながら、昭和15年ごろまで焼き継がれた。備前焼の古窯で、原姿をとどめているのはこの窯だけである。
構造は、それまでの宍窯形式のものよリ燃焼効率がよく、大窯の1/4の十数日で焼きあげられ、経費の節減、品物の回転を早めることのできる備前焼としては画期的なものだった。昭和53年に、岡山県備前焼陶友会が中心となり、備前市観光協会の協力によって保護屋根を設置したが、乾燥し崩壊が進むので、60年に再び陶友会が中心となり、岡山県郷土文化財団の助成を受け、窯体を樹脂加工で強化保存工事を行った。   備前市教育委員会