永富家住宅 新在家 揖保川町 たつの市
永富家がこの地に屋敷を構えたのは、戦国時代の享禄年問(1528〜32)と考えられています。江戸時代を通じこの地の庄屋で、村政の中心を担うだけでなく、龍野藩の財政を助けていたため、名字帯刀を許され武士並の待遇を受けていました。 ひときわ目をひく主屋には、玄関、中玄関、大戸ロなどの5つの出入口があります。小屋組は東西13間、南北9間で面積は153坪、屋根は入母屋造本瓦葺です。これら、江戸時代後期に建てられた主屋や長屋門など、ほとんどその姿を変えることなく今日に伝えられてきました。 播磨地方における庄屋級の民家の最も発達した形態をみることができる8棟の建物と建築当時の設計図である「板絵図」並びに「永富家住宅普請帳」13冊が国の重要文化財に指定されています。