忠度塚 天文町2丁目 明石市
寿永3年(1184)一の谷の戦に敗れた平氏の将、薩摩守忠度が両馬川まで来たところで源氏の将武蔵国(埼玉)の岡部六弥太忠澄に討たれ、その亡骸を埋めたところと伝えられる。 
平忠度(1144〜1184)
清盛の弟、正四位下薩摩守となる。藤原俊成に師事し和歌をよくした。平家西走の途中京都に引き返し俊成に詠歌一巻を託した話は有名。     明石教育委員会