蒼前平一里塚 卒古沢 七戸町 上北郡 青森県
青森県史跡 蒼前平一里塚
日本における一里塚の起原は、平泉の藤原清衝が、白河から外ヶ浜(青森)までの間に、金箔をはった卒都婆を立て、里程標としたことに求められるが、その後、織田氏、豊臣氏の施策を経て、それが全国的に築かれるに至ったのは通例徳川氏の慶長9年(1603)のこととされている。 しかし実際一里塚が奥州街道の盛岡以北にまで及んだのはまだ少し後のことであり、県南地方は慶安2年(1649)頃、上北地方は承慶元年(1652)頃であったと思われる。 一里塚は、江戸日本橋を起点とし、36町を1里として、1里ごとに、街道の両側に底面直径5間の大きさに造られ、その上に樹木を植え、里程標としたものであり、旅人に里程を教え、休息の便に供したものであるが、この蒼前平の一里塚は、日本橋から数えて第176番に位するきのであった。以下略 青森大学 学長 東北電力株式会社