ごあんない
当店は、江戸末期に造られた土蔵で約百年の歴史をもち「維新の豪商」と謳われた、
小野組の、数ある土蔵のうち現存する唯一の土蔵でございます。
城下盛岡町名由来  呉服町、六日町
当町はもと新町といい、呉服町と改称されたのは文化9年(1812)で、中町とも呼ばれていた。「盛岡砂子」に「呉服町は”札の辻”南二丁」とあるが、札の辻とは今の岩手銀行あたりで、毎月26日が当町の市日であった。当町には慶応4年(1868)の「南部家御用金被仰付(おおせつけらる)人員」番付によれば、西方大関、
小野組最大の支店であった井筒屋善八郎を筆頭に、渋谷善兵衛(味噌醤油、呉服)、近江屋次郎兵衛(呉服)、井筒屋徳十郎(酒屋)、近江屋市左衛門(酒屋)、近江屋善六(質屋)、近江屋覚兵衛(呉服)等の豪商老舗が店を張っていた。六日町は呉服町と上衆小路の間にあって二丁余。市日は毎月6日、16日で、ここには木津屋権治(醤油)、油屋孫六(油屋)等の店があった。盛岡郵便局の前身盛岡郵便役所が明治5年(1872)5月に開設されたのはこの六日町であった。  
昭和53年11月  盛岡市

耕作(旧小野) 中ノ橋通1丁目  盛岡市 岩手県