(前略)春日部〜日光〜黒羽〜須賀川〜仙台〜松島〜石巻を経て、45日後にようやく一関に入り、平泉視察のため二泊した宿がこの金森邸である。その後、日本海側へと旅立ったが、芭蕉が宿泊したことから”二夜庵(ふたやあん)”と呼ばれることとなった。この年、芭蕉46才、曾良41才。
曾良日記をもとに、一関の三日間を描いて見ると
5月12日 くもり 戸今(登米)を立っておよそ10キロから雨が降り出す。上沼新田町(中田町)から安久津(花泉町涌津)と歩いて来たものの、雨が強くなりここで馬に乗った。馬子に引かれ、山坂ばかりの道を通って一関に入った。その道順は金沢〜大門〜飯倉〜南光病院わき〜関ヶ丘下〜ゼネラルわき〜吸川〜駅前〜大町〜地主町であり、合羽もしみとおる大雨であった。夕刻に二夜庵に着く。
5月13日 前日とは打って変わって晴天。午前10時、奥州街道を一路平泉に趣く。高館、衣川、衣ノ関、中尊寺、金色堂、泉城、秀衡屋敷、金鶏山、無量光院などを見て夕刻、一関に帰る。二夜庵の主人は風呂を用意して二人を待っていた。
5月14日 この日も天気は良く、予定通り一関を立ち大町〜台町〜宮沢を経て宮城県の一迫〜岩出山(泊)に向かっている。
このあと裏日本を行脚し、象潟〜酒田〜新潟、市振〜金沢〜福井〜敦賀〜大垣、伊勢長島まで、全日程5ヶ月余の旅であった。
夏草や 兵どもが 夢の跡  芭蕉
五月雨の 降りのこしてや 光堂   芭蕉
卯の花に 兼房みゆる 白毛かな  曾良
   昭和57年11月21日 建立    製作 社団法人 一関青年会議所

 芭蕉最北の宿 二夜庵跡(金森邸) 地主町 磐井橋東詰 一関市 岩手県