下草城主黒川下総守景氏の次子、大衡治部大輔宗氏が天文13年(1544)築城し、黒川氏領北方の鎮に在ったが、天正18年(1590)子氏胤の時、豊臣氏の奥州仕置で所領没収、廃城となった。越路館、塩浪館ともいわれる、中世期の山城の一種である。 高さは約40m、本丸跡の頂上部平場は、東西40、南北100mあり、本丸の裏には二の丸、三の丸の平場があった。南麓が大手口で、付近及び登路跡は今もその形をとどめている。現在は、本丸の一部が城址公園として整備されている。 この付近を開発しようとする場合は、必ず教宵委員会に届け出て下さい。 平成9年3月  大衡村教育委員会

大衡城跡・船形連峰 大衡塩浪 大衡村 黒川郡 宮城県