仙台城の歩み
伊達政宗が、自然林と断崖と川に囲まれた天然の要塞青葉山に築城を開始したのは関が原の合戦の直後、1600年(慶長5年)のことである。この時、地名は「千代」から「仙台」に改められた。1611年(慶長16年)仙台城を訪れたイスパニアの使節セバスチャン・ビスカイノはその「金銀島探検報告書」の中で「城は日本で最も優れ、最も堅固な城の一つである」と賞賛している。二代忠宗は1638年(寛永15年)二の丸を造営、その後も整備拡充と被災を繰返しながら幕末に至ったが、明治維新後ほとんどの建築物が取り払われ、昭和20年の仙台空襲で残っていた大手門も脇櫓とともに焼失した。昭和40年に脇櫓だけが復原されている。
青葉城本丸跡 仙台