大高寺は、湖海沖珊和尚が15世紀中頃開山、一時廃絶した。これを雲州全利和尚が再興したが、その年代は不明。文政6年(1823)火災により伽藍が焼失した。柴田家の菩提寺で、寛文事件の柴田外記も祀られている。本堂裏にある五百羅漢は、明和年間(1764〜1772)この地方に疾病が流行し、住民は大変苦しんでいた。これを救おうと、第14世環中道一和尚が、経文を唱えながら像を刻み、疾病平癒を祈願したところ、その功徳が現れ治まったと伝えられているものである。環中道一和尚は、俳名を碓花坊也寥と称して広く知られていた。同郷の俳聖芭蕉を偲んで  名月や池をめぐりて終夜(よもすがら)  の句碑を建立したもので、記念に連吟「月夜塚集」を刊行したと伝えられています。  昭和57年3月   柴田町教育委員会
五百羅漢 妙高山大光寺(曹洞宗) 船岡