奥州街道通り 東船迫 柴田町
この地は古くから奥州街道、船迫の松並木として多くの人から知られていた。街道周辺には、田畑に働く人たちや旅人たちが、夏は暑さを避けるため、冬は蔵王降ろしから身を護るため松並木の下に集まり昼飯を食べたり、ごろりと横になり一休みしたりしたという。その松並木も第二次世界大戦中、軍用資材(松根油)として掘り伐られ、今はただ一本、「名残の松」として、白幡の地に威風堂々とその姿を伝えている。戦後は、桑や麦、野菜類が作付けされ、とりわけ根菜類などは良質なものが生産された。(中略)昭和60年に柴田町東船迫土地区画整理組合として県の組合設立認可を得、事業が本格着工の運びとなった。 以下略   平成2年3月吉日    柴田町東船迫土地区画整理組合