備中足守藩は、豊臣秀吉の正室杉原寧子(おね、高台院)の実兄、木下家定を藩祖とする2万5千石の外様大名である。備中足守(岡山県岡山市足守町)周辺40ヶ村を領地として支配していたが、寛政12年(1800)12月幕府より信夫、伊達両郡内25ヶ村に2万石余の村替を命ぜられ、その分領支配の陣屋をここ宮代村に設置した。代官は当初、二階堂弥五作らが郡奉行として派遣されたが、天保期からは塩見家が奉行として世襲し1万1千石余を支配した。(中略)陣屋は大カヤを中心に東端は旧瀬上支所あたりまで敷地があり、北側には御馬屋もあった。西は泉性院境で、西北端に奉行塩見家の屋敷があった。その東に桜樹があり、備中足守近くの最上稲荷大社からの稲荷社が勧請され、陣屋の鎮守として祀られた。以後70年間、この地を支配し、明治3年(1870)12月、分領は県に渡され解体した。陣屋の建物は県北各地の名家に分譲されたが、鎮守の最上稲荷は当斉藤家に譲与され、老桜樹のあるもとの位置にその瀟洒な佇まいを残して鞘堂内に安置されている。     1997年10月  撰文 福島県史学会常任理事    半沢光夫     陣屋碑建立会
備中足守藩分領瀬上陣屋跡(斉藤家) 瀬上 福島市