奥州安達ヶ原黒塚の由来
奥州安達ヶ原黒塚は、奈良時代の神亀3年(726)紀州熊野の僧、東光坊阿闍梨祐慶が、如意輪観音菩薩を念じ、破魔の真弓に金剛の矢をつがえ、鬼婆を射て、埋葬したところである。
平 兼盛が詠んだ  
みちのくの 安達が原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか
の歌をはじめ、歌舞伎、謡曲、浄瑠璃等で昔から演じられている安達ヶ原の鬼婆の物語は、全国的に知られている。なお、菩提寺である観世寺には、鬼婆の住家であった奇岩怪石の岩屋が、今なお残っており 俳人 正岡子規の 
涼しさや 聞けば昔は 鬼の家 の句碑がある。
 黒塚 安達ヶ原 二本松市