大壇口古戦場 二勇士の碑 JAグリーンセンター横 向原 二本松
ここが戊辰戦役に木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊奮戦の地である。隊長はここで戦死、また少年隊を援護して壮烈な戦死を遂げた青山助之丞、山岡栄治の二勇士の奮戦の地でもある。慶応4年(1868)7月29日未明、三春藩の突然の降伏により二本松の横腹を突く形となった西軍は、潮の如く二本松城下に押し寄せたが、血気盛んな壮年武士は各守備口に出陣しており、藩は止むなく少年隊の出陣を命じた。木村銃太郎の率いる少年隊は12、3歳から16,7歳迄の花も蕾の少年の一隊で、獅子奮迅の戦いは西軍をなやましたが、衆寡敵せず、維新の夜明けを前にして可憐な花を散らせたのであった。ここには少年隊とニ勇士の碑があり、当時西軍の隊長野津道貫の歌
  
うつ人も うたるる人もあわれなり ともにみくにの民とおもえば
と、陸軍大将従二位木越安綱の歌碑
  
色かへぬ 松間の桜散りぬとも 香りは千代に残りけるかな
がある。大壇口に出陣した二本松少年隊は63名のうち、22名で、戦死者は隊長木村銃太郎をはじめ16名、戦傷者6名であり、戊辰戦史上特筆すべき一大決戦の地である。    二本松観光協会