芭蕉の『奥の細道』の本文に「…かげ沼と云所を行に、今日は空曇りて物陰うつらず。 すか川の駅に等躬といふものを尋ねて、四、五日とどめらる。…」とあります。かげ沼をすぎると「一里塚」が、須賀川宿の手前にあり、街道の両側には松並木が続いていました。 須賀川宿は古町村、中町村、道場町村、北町村の4町があり、中町村が急成長したため南の黒門の外に移って新町をつくりました。それが4丁目のはじまりと云われています。現在の4丁目公民館付近には枡形がつくられておりました。 芭蕉、曽良は須賀川宿の賑わいにさぞ驚かれたことと思います。現在この地区には「須賀川絵のぼり」を製作する「吉野家」があります。江戸時代からこの地方の名産であり、芭蕉が訪れた時も絵のぼりや鯉のぼりが上がっていたと思われます。    笈も太刀も五月にかざれ紙幟 芭蕉      平成13年5月     4丁目町内会
4丁目集会所(千日堂入り口) 千日堂 須賀川市 福島